「ルーマニア国」とは

「ルーマニア国」とは

 ルーマニア国はあまり日本人にしられていません。
 そもそもルーマニアは「ROMANIA」と英語表記されます。つまり、ルーマニア人は「ローマの人」であり、紀元106年古代ローマ帝国皇帝トラヤヌス帝によって征服された歴史から、古代ローマ帝国の末裔であることを(政治的に)意味しています。しかし、なぜか日本ではその歴史を無視し、「RO」が「ル」となりルーマニアになっています。
ルーマニア人はラテン語系のルーマニア語を話し、「ROMANIA」は古代ローマ帝国時代のローマ人だと主張する人も多くいます。
 1989年ソ連から東欧諸国が独立を果たしました。ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーなどの国ですが、そのほとんどがロシア人同様「スラブ系」ですが、 「ROMANIA」だけは「ラテン系」なんです。
 そして、「ROMANIA」は今の時代になっても、古代ローマ帝国時代からあった世界最古の「キリスト教正教会」の信者が90%程度を維持しており、世界有数のキリスト教主義国家になっています。
 「ROMANIA」は2004年からNATO軍に属し、2007年からEU加盟国です。そして、2024年3月にはシェンゲン加盟国となり、空路と海路の国境の制限が解除されました。もう26か国間のシェンゲン圏ではパスポートやIDを入管に見せる必要もなくなり、あたかも26か国間を「国内旅行」をしている感じになりました。
 ジプシーや移民も増加傾向にありますが、非常に安全・安心な国です。実際私がルーマニア人と結婚をし20年以上ルーマニア国と日本を行き来しましたが、日本とかわりありません。
 また、ルーマニア国は90%以上の方が古代ローマ帝国時代からある「キリスト教正教会」の信者です。
カソリックやプロテスタントを入れると95%程度はクリスチャンの非常に多い国です。各国を見てもこれだけクリスチャンの多い国は珍しいです。
宗教的に生きている方々が多い国は比較的安全です。

【地形】

ルーマニアの真ん中にカルパティア山脈がはしっており、ハンガリーやチェコまでつながっています。

【古代ローマ帝国の領土】

紀元106年に古代ローマ帝国は当時の「ダチア王国」(今のルーマニア国)を占領したことになっていますが、モルトバ地方には多くのローマ軍は行っておらず、モルトバ地方の人は純粋な「ダチア人」と考えているようです。

【ルーマニア国のサイズ】

ルーマニア国の国土はは日本の全国土からの九州地方を引いた分の大きさです。
ルーマニアは大きく分類して4つの地方に分けられます。
2021年の国勢調査によると、首都ブカレスト(Bucharest)は「ワラキア地方」で、第一の都市です。第二の都市はトランスバニア地方のクルージュナ=ポカ( Cluj-Napoca)で、第三の都市はモルトバ地方のイヤシ(Iasi)

 【領土問題】

このモルトバはソ連時代にルーマニア国のモルトバ地方とモルトバ共和国に分断され、今のウクライナと全く同じようなロシアとの領土問題などがあります。

ルーマニア地方名
細かく分類した地域名
【モルトバ地方とワラキア地方と医大名】

ルーマニア国のモルトバ地方とモルトバ共和国は同じルーマニア語のモルトバ地方のアクセントで話されています。例えば音楽のコンクールは同じモルトバ人同士、協同で実施され、常に共存を共有しようと努力し合っています。
 一方、ワラキア地方の首都ブカレスト(Bucharest)の医大はCarol Davilaといい、第三の都市のイヤシの医大は Grigore T Popaといい、互いに自分たちが一番いい大学だと思い込んでいるところは日本の東大と京大の関係のようです。
 では「THE」や「QS」の世界ランキング上のレベルは同でしょうか。
(1)「QS」では以外にもCluj-NapocaのIuliu Haţieganu(UMF)だけが301位にランキングされています。日本の筑波大学並みのレベルです。
(2)「THE(2024)」では、同じくCluj-NapocaのUMF大学とBucharestのCarol Davila大学が601番で、日本の慶応大学、広島大学などと同じレベルです。続いて、IasiのGrigore T. Popa大学とTârgu MureșのGeorge Emil Palade が801番で、日本の千葉大学、熊本大学、京都県立大学と同レベルです。

医大のある都市名

ルーマニア国医大は合計9 つの大学医学部に
英語で学べるコースがあります

【トランスバニア地方の面白い歴史】

 さて、トランスバニア地方と言えば、アリルランドの作家ブラム・ストーカー(braham “Bram” Stoker)の「吸血鬼ドラキュラ」が有名です。「ドラキュラ伯爵」はトランスバニアのセーケイ人とされていますが、実際は、モデルとなったヴラド・ツェペシュ公は、トランスバニア地方の父親のお城で生まれ、南隣のワラキア公国(首都はブカレスト)の君主となり、トルコ軍と最前線で戦っていたルーマニア人リーダーであり、キリスト教正教会の熱心な信者であり、有名な王でした。物語の言うセーケイ人ではなかったのです。 

 ルーマニアから50キロ程度しか離れていないハンガリー国にある国立Szeged大学は2023年のノーベル医学賞を受賞されたDr. Katalin Karikó で有名になりましたが、その歴史は1581年現在のルーマニア国ClujPrince of TransylvaniaKing of Poland (1571-1586)により設立され、後Grand Duke of Lithuania(リトアニアの侯爵)が取り上げれた後は、キリスト教カソリック式大学となりました(当時も今もルーマニア国は「キリスト教正教会」なので「キリスト教カソリック」を受け入れなかったのだと思います)。

 その後ハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国がClujを管理していました。つまり、16世紀からハンガリー人がトランスバニア地方には多くなったのです。第二次世界大戦が終了した1945年にはSzeged大学はハンガリーに拠点を移し、その巨大な大学の土地Clujにはルーマニア人のための国立大学が設立されました。ルーマニア国で最も巨大なBabeș-Bolyai University(BBU)です。(残念ながら、BBUの医学部はWFME認定医大ではないようです)

 トランスバニア地方のCluj にある医学部は現在の "IULIU HAŢIEGANU" UNIVERSITY OF MEDICINE AND PHARMACY CLUJ-NAPOCAです。ルーマニア国でもTOPレベルの大学(QS世界ランキング301番)です。この大学も1776年オーストリア=ハンガリーを領土としていたハプスブルク家の神聖ローマ帝国マリア・テレサにより設立されました。つまり、ここもトランスバニア地方にいたハンガリー人により設立されているのです。

 1919年になるとハンガリーからルーマニア国の大学となりましたが、現在もハンガリー人がルーマニアに住み着いておりハンガリー語を話しています。特に多いのがBrasov(ブラショフ)県の隣のCovasna(コヴァスナ)県とHargita(ハルギタ)県です。80%がハンガリー人(セーケイ人と言われている人々)です。

 セーケイ人(ルーマニア語ではSecui(セクイ))はモンゴル系の戦士アッティラが率いたフン族の子孫の末裔と思っている人々です。ルーマニア国において、今でも大切にセーケイ文化・伝統を守っていますが、ルーマニア国の人間としてルーマニア語の学校に行っています。しかし日常的にハンガリー語が話されています。ここには不思議な風景があります。